路地裏

あらゆるどうでもいいことを書きます。

唯一無二

 wowaka氏の訃報に触れてから、才能について考えることが増えた。

 彼は紛れもなく天才で、普通に生きていれば作品にすら巡り合えたかどうかも怪しいぐらいに雲の上の存在だった。ニコニコというコンテンツに突如現れ、電子の海を席捲した超常的な存在。彼の音楽は心を打ち鳴らした。感情を震わせた。

 

 インターネットの普及とともに世界各地で観測されるようになった彼ら天才は、やっぱり天才であるがゆえに苦悩していた。宝石のような曲を生み出して、引退していった人たちもいる。0から1を生み出すことの苦悩が、分からないまでも伝わってはきてる気がした。

 そんな中でもwowaka氏はいわゆるてっぺんの人で、0から1を生み出すどころか、それを100にしたり120にしたりできてしまう人だと思った。感動には上限が無い。彼の音楽は無限に人々に届いた。やがて自らの声でもそれを行うようになり、その輪は広がっていった。

 

 そんな人が亡くなったと聞いて、真っ先に思い出したのはsamfree氏の事だった。

 彼もまた観測された天才の一人で、ボーカロイドそのものに圧倒的な爪痕を残した偉大なるクリエイターだった。彼の音楽に強く影響を受けた。彼の真似は誰にも出来なかった。2015年に彼もまた、あまりにも早く天国に行ってしまった。

 

 彼らは才能があった。俺ら凡人が悔しがることすら出来ないほどに。でももしかしたら、それこそが早すぎる死の一因だったのかもしれない。

 才能は車で言えばエンジンだろう。誰よりも速く、力強く走り抜けるための心臓。アクセルを踏めば誰も届かない場所まで行けるような本物のエンジン。

 

 でも彼らは、ブレーキを踏むことを忘れてたんじゃないかと思う。いや、わかってても踏めなかったのか。止まらず人生を突き進み、突然逝ってしまった。

 

 才能は怪物だ。生命を食わせ宝を生み出す。唯一無二の音楽という表現は、命が削られて生み出されたものかもしれない。最後には怪物が、天国へと連れてってしまう。かのフレディ・マーキュリーもそうだった。

 

 彼らは唯一無二だ。誰にも真似できない。願わくば天国では、安らかに過ごしていてほしい。