明日死ぬなら
明日死ぬとしたら?と、ありきたりなことをよく考える。明日のことだから考えやすいし、いまいちリアリティが無いからうんざりもしない。暇をつぶすにはなかなか悪くない思考だ。
HERO先生の「堀さんと宮村くん」の話の一つのタイトルに「明日世界が終わる日の、今日。」っていうのがあって、そのタイトルから好きになって、でも世界が終わるのはどうにも想像つかなかったから自分が明日死ぬことを考えている。実際に死のうって時期は5年ぐらい前に終わった。あれ疲れる。
これは別にネガティブな話じゃなくて人間いつ死ぬかわかんないよねって感じの話。いつかは死ぬけどいつかがいつかはわかんないから困るんだよなあ。人生がたとえば人生ゲームだとしても、「あがり」がどこかわかんないし、場所によっては「ゲームオーバー」でしかないから大変。クリア条件ないし。
これが明日死ぬなら、いつも通りの日常を過ごして、たぶん泣いて、それで終わりだ。余命が1日なら考える暇も、やり残したことをやる時間もない。なにも考えず、死ぬだけ。
たぶん、恐ろしく楽なのだ。毎日明日のことを考えるということが無くて、やりたいことをやる暇もなくて、思考すら停止できるほどに。
それに比べて、今はどうだろう。予定を立てたり、仕事に憂鬱になったり、めんどくさい人間関係があったり、やりたいことがあふれてたり。
人生のどこかの瞬間から「あがり」になるんだと思うけど、少なくとも今はまったくその時じゃないと思い知る。きっと明日は来るし、明後日も来る。ゲームオーバーは嫌だ。思考は止めるわけにはいかない。やり残したこと、やりたいこと、全部やってから死にたい。
ああ、めんどくさい。明日も生きていく。