路地裏

あらゆるどうでもいいことを書きます。

唐突な生命活動

 シロナガスクジラは哺乳類で、最長で30分潜るらしい。一度の息継ぎから30分は戻らない、と考えていいということだろう。哺乳類にも関わらず、だ。

 

 だからこれもそんな感じだ。生命維持が困難だと判断したので、久々にこうやって呼吸をしに来た。呼吸以上の意味を求めてしまうので、普段は面倒で我慢してるけど。個人的に救急車のお世話になったり、そこから身体がちゃんと治ってくれなかったり、もうすぐ自分の環境を変える覚悟をしたり、いろいろモロモロを無呼吸でこなしてきたから、ちょっとばかし酸素が足りなくなってきたのだ。

 

 ほんとは呼吸器を持ち歩けばいいんだけど、呼吸器になりそうな人生のやりがいをいまだ見つけられていない。どうやら家の中にはなく、仕事場にもなく、もしかすると地球の裏側までいかないと見つからないのかもしれない。となるとめんどくささが勝る。だから息を止めて、こんなふうにたまに息継ぎをしに来るほうがいいと思う。

 でも困ったことに、生命活動の内容を決めてなかった。息を吸おうとは決めていたが、深呼吸にしようか、浅い呼吸にしようか、いっそのこと呼吸をあきらめてもう一度苦しくなるまで息を止めようかってことを考えていなかった。痛恨だ。そうこうしてるうちにも酸素は脳みそに使われていくというのに。

 

 とりあえずでメモ帳を開いたけど、あるのは決意ばかりでアイデアが無い。夢を散らかしっぱなしにしてるだけでも問題だが、道筋もわからぬまま準備もせぬまま時間を覚悟に取られてしまっている。現状に危機感を覚えても身体は勝手には動いてくれない。

 こうやってだらけてるまに呼吸の仕方も忘れそうで怖い。呼吸の仕方を自分なりに見つけているだけマシなのだが、漫然と生きていれば呼吸器どころか酸素まで失われていく気がする。

 

 話は変わるが、好きな人が欲しい。人を好きになりたい。感謝をしたいしされたい。誰にも理解されないかもしれないことを理解してほしいのだ。学び舎の教室に押し込まれていた時代から、世界に一人ではないことを証明したかった。同じ思いにはなりえない事を悟ったうえで同じ思いで笑ったり泣いたりしたいと思った。不可能を不可能なままできるようになりたかったのだ。これ、誰かうまいこと言語化してくんねえかな。

 

 最近は面白いアニメや漫画が増えた。それを語りたいし一緒に見たい。俺の中でそれは好きな人とやることだ。友達でも、恋人でもいいけど。でもその順番が逆転するんもまた面白そうでいいじゃないか。哺乳類は陸に上がってきたのに、クジラは海で生きてるんだから、そういう逆転は大歓迎じゃないか。

 

 呼吸できた。じゃあぼくは海にまた潜ります。