路地裏

あらゆるどうでもいいことを書きます。

開墾

 最近、昼寝しすぎて夜に眠れない。いわゆる昼夜逆転なのだが、そもそも睡眠欲がずば抜けているので生活を正すには社会に身投げする他ない。

 そういう状況のこういう夜に、常に自分が何者かを考えては、何者にもなれてない現状に恐ろしくなる。いつまでも同じところをぐるぐる思考する人間もどきが、いまだに自分から袋小路に入っていってる。

 

 本当に自分は人に恵まれていて、友達はみんな良い奴で面白い奴で、心から幸せになって欲しいと思える人ばかりで、だから何も無い俺は、あまりにも彼らを好き過ぎる。自分に無いものを持っている彼らに、自分を背負ってもらおうとしている気がする。

 恋人がいる友達には、永遠に仲睦まじく過ごして欲しいし、夢のある友達には、何を犠牲にしてもそれを叶えて欲しいし、評価の低い友達には、陽のあたる場所で正しく生きて欲しい。

 

 俺が現状出来そうもないことを彼らの応援という形で出来ると錯覚したいのではないかと思う。夢も曖昧、恋人もおらず、高いのは自己評価だけという人間のなりそこないが、彼らの輝きにすり寄って人間ヅラしたいだけなのではないかと、たまに思う。

 

 そしてそれはまったく正しくて、俺は本来俺という人間と向き合うべきなのだ。からっぽの心を愛やら夢やらで満たし、正しい心と正しい体で人間同士で友達と向き合うべきであるのだ。

 努力を怠ったのだ俺は。

 きっと友達は完璧ではないし、彼らにも悩みがあるだろうし、彼らの心にも空洞の一つや二つあるかもしれない。けれどそれは彼らの人間らしさであり、正しく輝くためのプロセスであろう。

 

 きちんと行動すれば彼女が出来る、ちゃんと勉強すれば分かるようになる、悩みに向き合えば解決出来る。

 俺はそれらを努力の才能がある人の特権だと思っていた。目標に向けて歩くことの出来る、あまりにも稀有な人材の証明であると。

 ところが努力の才能は誰にでも獲得出来るらしい。どんな土壌に蒔いても、耕して世話をすれば実が成るらしい。そうやって出来上がった努力の土壌に、彼らは勉強やら恋愛やらの悩みの種を蒔いてるらしい。

 気付くのに20年かかった。目の前のまっさらな土地を嘆くだけだった俺に対し、彼らはその土地を耕していたのだ。その差はなんてことない、思い立った時の違いだ。

 間に合う気がして、慌ててクワを手に取った。目の前の土地は好き勝手に花や木が生えている。これが俺の土壌か。からっぽだと思ってたけど、努力じゃないものが育ってるらしい。土地の片隅に努力の種を植えた。

 さて。これを実らす努力は、怠るわけにはいかない。