路地裏

あらゆるどうでもいいことを書きます。

嫌われつつ

 「毒虫」という本のタイトルだと勘違いしていたが、「変身」というタイトルだった、というくらいにあの書き出しは衝撃的だった。カフカが何を考えてたか知ったこっちゃないが、覚えたのはカフカという名前よりもグレゴール・ザムザという毒虫の名前だった。自分が朝起きて毒虫になってたらどうしよう、考えるというより夢に出てくるようになった。

 

 悪口を言われるのはちっとも慣れてないけど覚悟ぐらいはしている。俺のことを好意的に思ってくれてる人がいるなら、同じ数嫌いな人がいるのも普通の話だから。なんなら嫌いな人のが多いだろ、普通。嫌いになるのはきっかけ一つでなれるからな。でも自分が毒虫になって誰からも一線引かれたら、きっと気が狂うんだろう。

 好きだの嫌いだのはそいつと関わりを持つという意思表示に他ならない。嫌いな奴だと思ったときは、そいつに心のスタミナを消耗することを理解しないといけない。しかも好きより嫌いの方がよほどスタミナを使うという、恐ろしい構造。そうなるぐらいなら、嫌いな人の存在なんか認識の外に置いちまえばいい。それをあらゆる方面からやられちまった毒虫が、社会に一定数存在している。「無敵の人」という名前で。

 

 「誰か止めてくれればよかったのに。」通り魔はそう言ったらしい。ゾッとするけど、止められるはずがない。好きにも嫌いにも置かれない、距離が開き、詰まらない。世界から隔離され、差し伸べられる手どころか、嫌悪の目すらも向けられない。呼吸すら出来なさそうな空間に、一人漂うような感じなんだろうか。想像すらできない恐怖だと思う。

 そうならないためには、嫌われる覚悟で好かれようとするしかないと思う。心が死ぬ前に、心をぶつけるのだ。それで嫌われるならいい。好かれればもっといい。孤独に勝手に駆け寄って、自分から心を殺す必要はないんじゃないか。「ワタシはそういう人間だから」って言葉がほんとうに嫌いだ。無条件に自分を愛せ。楽観主義で生き抜け。

 

 いま、世界がいろいろ大変で、人に会えないという事情もあると思う。でも、今の時代は会えなくてもつながれるから。手を尽くせ。全身全霊で愛されるべきなのだ。飛び込め、人間の渦。

 そして「映像研には手を出すな!」を見ろ。


TVアニメ「映像研には手を出すな!」PV 第3弾【1/5(日)24:10~NHK総合テレビにて放送開始】