路地裏

あらゆるどうでもいいことを書きます。

恐と驚

 ホラーが好きだ。こんなことを書くと知り合いは「嘘つけ」と言うだろうが、本当に好きなのだ。ユーチューブを開けば関連オススメ動画にホラーの予告が出てくる。ドント・ブリーズのようなイカレヤバイ人間の方が怖い。知らない土地のエレベーターがやばいぐらいはなんとか耐えられる。

 だが俺は極めて怖がりだ。高校1年か2年の時に、父親と二人でUSJに行った。フライングダイナソーハリーポッター、どれもこれもティーンエージャーと50半ばの大男二人を叫ばせるほどではなかった。だがその日2度目のバックドラフトにほどよく興奮して施設を出ると、日が暮れ始めていた。空気が変わっていた。その頃、USJはホラーナイトの時期だった。

 俺はビビりだ。でもどうしても気になった。チャッキーのホラー工場に並んだ。めちゃめちゃに人が多かった。建物の中に入ってもなお、都会のエスカレーターのように密着しながらジリジリと進んだ。

 10メートルほど先、前の客が突然飛び出してきたチャッキーに驚くさまがしっかりと確認できる。2、30秒ほどでそこに辿り着く。チャッキーが飛び出し、俺は驚いて父の背中に隠れた。正確に言うと父を盾にした。あんなに予習のチャンスがあったのに、まんまと驚いた。はぁ。

 最後にデカイ部屋に入れられ、チャッキーのすごくヤバイ現場を見せられ(ネタバレ防止)、逃げるように施設を出た。出口のところでへたり込み、「だから無理だって言ったじゃん」などと彼女みたいなことを口走った。中では大人二人の電車ごっこ、外に出れば痴話喧嘩。ホラーって怖いなと、意味不明なことを悟った。

 

 ホラー映画を借りた。死霊館。冒頭10分ほどですでに不穏な雰囲気が漂っていた。でも不思議と落ち着いて見ていた。

 ネットの洒落にならない怖い話を検索する。もちろん怖いんだけど、歯がガチガチに震えるような恐怖はなくて、心の温度が少し下がるような感覚。深夜に1階に降りられないかもしれないけど、トイレぐらいは行ける、そのぐらいの恐怖。

 

 この日、俺はホラー好きだとわかった。心に染み入るというか、心をそれ(恐怖)で染められる感覚が、そこまで嫌いじゃなかった。でも相変わらずチャッキーは怖いし、ネットの恐怖動画は直視できない。

 違いを少し考えたけど、恐ろしさと驚きの違いという結論になった。血が飛び散っている廃病院を懐中電灯で照らす、までならいいけど、そこで突然ナースが扉を叩いてはダメだ。それは恐ろしいではなくてビックリだ。出てくるなら一部分ずつ照らしていかなくてはならない。

 

 風呂が好きな人は多いだろう。だからって、ちょうどいい温度のお湯を突然後ろからぶっかけられていい気分の人はそう多くない。やっぱり手足の先から、少しずつ浸かりたい。

 なんでもそうだ。少しずつ少しずつ、いつの間にか心まで染まっていくほうがいい。

 

 人間として、そんな風にありたいなあとも思う。だってビビリだから。

夢が死んだわけじゃない

 酒を飲んで、ベッドに腰かけて、スマブラの休憩に少し考える。「子供の頃の夢は何だったっけ?」

 記憶力はとてもいい。物心ではないんだけど、2010年頃からこの瞬間までにあった様々な出来事をなぜだか膨大な量覚えていて、きっと誰も覚えていない面白くもなんともない自分の言動を思い返したりする。

 でも子供の頃の夢は、よくわからない。自分が一ケタの年齢だったころ、夢ってちゃんと持ってたんだろうか。タイムマシンが開発されたら、聞きにいってみたい。あのころはなんだか、一日を無感動にこなしてた気がする。

 

 でもちょうど日本が南アフリカでベスト16に行って、駒野が叩かれたころからの記憶はかなりある。もちろんその頃の夢も覚えてる。小学校5年生から中学1年生までは、サッカー選手になりたかった。自分はプジョルのあとを継いで、バルサの5番を背負うんだと息巻いていた。

 サッカー部の上級生が苦手で、嫌いで、簡単にやめてしまった。同級生はいいやつだったと今では思うけど、上級生は今でも苦手だ。サッカーが好きかどうかもわからなくなった。中2の6月からはバスケ部に入って、問題なく充実した最高のバスケ部生活を過ごして、引退した。それは自分を作る必要な時間であったし、「最高の思い出」カテゴリに保存してある。バスケ部は見事に、人生の一部となった。

 

 でもバスケ選手という夢は持たなかった。バスケ雑誌も読まなかったし、知ってるバスケ選手もコービーとか、ジョーダンとか、そんな伝説クラスだけだ。

 ところが、あんなに嫌気がさして辞めたサッカーは、今でも大好きだ。Jリーグの贔屓のチームを応援し、サッカー雑誌を熟読し、日本代表に苦言を呈す。まだ代表にも入ってない海外の自分より年下の選手をワクワクしながら追いかける。休日に、突然外に出てボールを蹴り出す。俺は紛れもなくサッカーが好きだった。

 

 サッカー選手という夢を持った自分を、バカだなと思う。俺はあまり上手じゃなかった。いまだに左足ではまともに蹴れないのに。

 でも、サッカー選手という夢があったから、サッカーをいつの間にか好きになれたんじゃないか?と思った。贔屓のチームのゴールに、勝利に思わずガッツポーズなんて、夢もないのに出来ただろうか。サッカー雑誌をあさったり、外国人の名前どころかプレースタイルまで覚えるなんて、好きじゃないのに出来るだろうか。

 

 サッカー選手になりたいという夢は、もう持っていない。あるのは「なれなかったどころかスタートラインにもたどり着けなかった」という現実だけ。

 でも、全部が無駄だったとは言えない。好きなものが出来た。

 高校の授業で、夢を聞かれた。マイクを持たされ、言葉が自然と出てきた。

「サッカー雑誌の編集者になって、バロンドールを取った選手にインタビューしたい」

 

 それは紛れもなく夢だった。自分でも、言葉にした瞬間にやっとそれが夢だと気づいた。

 だから、あの夢は死んだわけじゃない、と思った。それは形を変えて、人生の一部になって、新たな夢になって、いつまででもここにいるんだと思った。

 だから、あのころの無謀な自分を褒めてやりたい。お前はだいぶバカだが、その後の俺の支えとなったわけだ。

 

 今はちょっと夢と違うところにいる。また違うところに行くかもしれない。でも、夢はまた勝手についてきてくれるんじゃないかと思う。

万有引力

 タレントのエッセイが好きで、そういうのをあさって、贔屓の書店で買っては、こんなふうに触発されて何かを書いてしまう。小学生の時はノートに書きなぐった。そのノートを学校の理科室に忘れて、教室まで持ってこられたことがある。中学生になると、学校に持っていくことはなくなった。

 高校に入って、バイトをした。不思議なほど仕事の覚えが早くて、給料も貯まった。貯まったお金でPCを注文した。ノートパソコン、今ではこんなことにしか使っていない。でも役割がはっきりしてて、自分は100点の存在価値をこいつに与えている。これを開くと何かを書く。スイッチになってて好きだ。

 

 エッセイを読んでいつも思うのは、「こんなにも書けるのか」って事だ。SNSやブログで綴られている言葉を眺めても、普通に見えるし、「なんだこんなもん俺にも書けるよ」ってな風に斜に構えてしまう。それが集まっただけにも見えるのに、エッセイ本を読み終えると、「なぜこんなにも言葉が詰まってるのだろう」と思うのだ。

 自分には文才があると信じている。物語もたくさん考えて、書いて、消して、思いついてきた。読書感想文、授業で書く作文、どれもこれもとっても褒められた。先生のベタで構文のようなお褒めの言葉から、クラスメイトの不思議なワードセンスの高評価まで、身近にもらえる称賛はすべて甘んじてもらってきた。

 今でも信じて、それだけにすがって生きている。文才がある。自己を保つための絶対評価である。

 

 芸能人は、テレビで喋って、SNSでつぶやいて、それでもまだ書くことがあるのだろうか。経験や体験を切って貼って、手元になんにも残ってなかったりしないのだろうか。もしかして芸能人って、相当上の世界に住んでるんじゃないだろうか。朝起きてすぐ感動的なフレーズに出会って、お仕事で素敵な体験をして、移動時間で何かを閃いて、帰ると最高の友達が待ってたりするんだろうか。そうでもしないと、発信する量に見合った一日になってないんじゃないだろうか。

 あるいは芸能人の言葉には、なんでもない物がたくさんあるのかもしれない。「空がきれい」って言うだけで、俺達はそれをいろんな角度から眺めて、「この角度からだと深い発言」だと受け取ってるのかもしれない。

 

 そんな風な受け取り方って、なんだかその人に振り回されてるみたいだ。べつに批判的な意味合いじゃなくて、その瞬間、その人は世界の真ん中にいるんじゃないかって。人ってそれぞれに世界を持ってて、その中心はたぶんおそらく自分であるはずなんだけど、たまに、あれ?ってなる。いつの間にか自分が衛星みたいに回ってて、視界がぐるぐるして、よく見たら真ん中にその人がいる、みたいな。うまく言えないけど、そんな感じ。

 

 万有引力、とってもいい。誰でも自分が中心で、たまにそれが大きい人がいて、俺達みたいに引力が弱い人は、斜に構えながらも引っ張られてしまう。そういうすごく強い引力に、魅力って名前が付く。善悪もプラスもマイナスも全部ひっくるめたパワー。

 

 行きつけの書店に行って、タレント本の棚を見て、面白そうなタイトルを見つけてしまって、パラパラとめくりながら、また思う。ああ、万有引力