路地裏

あらゆるどうでもいいことを書きます。

あいまい

 突然アイスが食いたくなったので、コンビニまでフラッと歩いてアイスを買い食いして帰った。

 アイスは溶けかけが好きだ。個体だか液体だかよくわからん状態のやつをこぼさないように食べるのが楽しいしおいしい。個体と液体の境界をフラフラしてる感じ。

 

 思えば、定まってないというか曖昧なものが好きだ。服もブカブカでシルエットが浮かないほうが好きだし、留年した時は年下なのに同級生っていうのがなんか楽しくなった。歩き方も軸がぐにゃぐにゃしてるし、立ってる時も重心をフラフラと動かしてしまう。

 

 なんでだろう。自分と向き合って自分を言葉にするのは好きなので、たまにこうしてはっきりさせたくなる。けどどうにも答えが出ない。これも曖昧なままがいいのかなあ。

 曖昧なことって、「確定しない」楽しさがあると思う。ワクワクできる。付き合う前の男女に似てるかも。期待と不安が入り混じってる時って、脳みそがぶっ壊れてハイになってしまう。結果がどうなろうと結果が出る前にもうハイハイ。マジ絶頂。

 

 曖昧が好きなのはつまり、楽しいが好きだ。人生のぜんぶの瞬間が楽しくなるようにいろいろ選択してきたので、考え方も楽しいほうに寄ってった、のかな? わかんないけど。今日の自己分析としては、そうやって診断書に書いとこう。

 

 アイス、おいしかった。またフラフラしにいこっと。

大阪2日目

 寝過ごした。やっぱり徹夜からの足棒祭りは体力によろしくないらしい。まあ寝心地は最悪だったので体力はあんまり回復してもいないのだが。

 

 ということで、とりあえずなんばに降りた。調べたら大阪のオタクの街である日本橋はこの辺らしかったので、適当に歩いた。ここのメイトは女性向けらしい。なるほど確かに、なかなか濃厚なBLも店頭にあった。適当に心のままに買って出る。とらのあなとかメロブも見て回った。

 どこぞの店頭にあった、60万円のウルトラマンティガが一番そそられた。単純に金が足りないので断念。とはいえ目に焼き付けた。金持ちになったら絶対買おう。

 

 メイドが道にいるのを見ると、都会だなーって感じがする。メイド喫茶も一回ぐらいは行ってみてもいいかもしれん。と、2日連続で足を棒にしながら思う。

 

 カップルを見てうらやましかったり微笑ましかったりしつつ、なんばに戻る。なんばスカイオとかいう所で恐竜展をやってるらしいので向かう。親子が多い。少なくとも20そこらでガタイも悪くなくて悪人顔なのにおひとり様なのは俺だけだった。

 恐竜の復元模型とか、骨の標本とかを見ていると、奥から唸り声と小さい子の悲鳴やら泣き声やらが聞こえてきた。 

 

 進んでみるとティラノサウルストリケラトプスを食っていた。アニマトロニクスというやつらしくて、いわば恐竜型アンドロイドだろうか。リアルはどの分野でも追及されている。思わずにやけてしまう。あー、これが見たくて時代を跨いでるわ。

 

 しばらく観察。子供たちも慣れて、罵声をティラノに浴びせ始めたので移動。レックスの骨格標本などを見て出た。

 

 しばらく梅田で迷走。紀伊國屋書店には、待望の若林さんのエッセイがあった。文庫版だけど。しっかり購入し、満足して梅田をあとに。

 なんとなくでカラオケに入る。歌がうまい。

 

 で、終わり。明日になったら帰る。箇条書きの旅、これにて終了。

大阪1日目

 GW。なので大阪に旅に出た。今日は1日目。始発で死にそうになりながら向かった。徹夜した。

 これが恐ろしいことに、電車の中で寝ようと思ってたのだが、小説を読んでいると大阪に着いてしまった。時をかける少女のセリフが沁みる。タイムはリープ出来ないけど、ジャンプ出来てしまう。俺の睡眠時間はどこに行ったの?ってね。

 

 そんなこんなで大阪に着いた。雨。かつ早朝なのでどの施設も開いてない。意味もなく京橋で降り、傘だけ買って大阪に戻る。まだなにも開いてない。すでに足は棒と化している。ホントは美術館を巡ろうと思ってたんだけど、おもむろに目に入った馬鹿みたいにデカい建物を見て、今日は一日かの有名な梅田ダンジョンに迷い込もうと決めた。

 

 

 なんの施設も開いてないダンジョン、マジで苦行でしかない。これはやめよう。20分で思い直した。

 大阪駅が梅田駅なのに驚愕しつつちょっと早く開いていた書店に入る。書店は何も買わなくても変な満足感があるのでたまらない。ずっと探してるオードリー若林さんのエッセイはここにも無かった。

 

 そのままの勢いでよくわからない施設に入る。施設そのものは開いてるけど中の店は何も開いてない。足を棒にしただけで脱出した。もうこの時点で3度足が死んでいる。

 ちょっと駅のほうに戻り、人に流されることにした。エスカレーターをひたすら上る。蔦屋書店は開いてるようだったので、入ってみた。すでに多くの人がいて、思い思いに本を読んでいた。

 俺はいまだに蔦屋書店のシステムがわからない。とりあえずぐるぐる回った。検索機を見つけたのでまた若林さんのエッセイを探したが、ここにも無かった。なんだかどれも手に取れなくて、ちょうどいい時間だったから駅に戻った。

 

 駅から大阪市立美術館に行こうと決めた。どうやら天王寺駅らしいので、覚悟を決めてぎゅうぎゅうの電車に乗り込んだ。痴漢と間違われるのが超怖い。地元では両手を上げるどころか座れないというシチュエーションすら年一あるかないかである。

 

 天王寺駅につく。人が多く、足が痛い。ちょこっと迷って、大阪市立美術館に到着。

 どうやら今フェルメール展をやっているらしい。当日券を購入し、入場。フェルメールや彼に影響を受けた画家たちの作品に感動し、満足して出る。

 

 せっかくなのでそのまま天王寺動物園にも行く。もはや棒以下となった足で雨の中、めちゃめちゃデカいカバとかビミョウに違うドリルとマンドリルとか、悪役ヅラなのにキュートでプリチーなハイエナとか、ずっと後ろ向いて瞑想してたハヤブサとか、真っ暗闇ではしゃぐキンカジューとか、たくさん見た。雨だからって断念しなくてよかった。

 

 もう棒だったので、諦めて寝ることにした。寝た。で、起きた。それで今日は終わり。

 明日も行き当たりばったり、迷って楽しんできます。

劇場型不自由

 このあいだ、「シャザム!」を観た。字幕で。ネタバレ等あるのであんまり詳しくは言えないけど、DC史上最強クラスの映画でオチも思わず笑いがこぼれるほど面白いので是非観てほしい。

 

 自分でお金を稼ぎだしてから、友達とスケジュールが合わないこともあってたくさん映画を観るようになった。一人でバイクをぶっ飛ばして大型施設まで行って、いい席で一人でのびのび観る。最近だとグリーンブックとスパイダーバース、あとボヘミアン・ラプソディが最高だった。

 映画がすごく好きなんだけど、劇場もすごく好きだ。映画が終わるまでほとんどの人が席を立たない。誰もしゃべらない。動くことさえはばかられる。二時間も。

 それがなんか心地がいい。誰もが縛られてる。万有引力の話じゃないけど、誰もが望んで動かない感じがすごく好きだ。空間の呑み込む力というか。

 

 こういう夜の寝る前の時間って、とても自由だ。こんな誰が読んでいるかも分からないブログを書くのも自由だし、星を見上げるのも自由だし、何かに祈るのも自由。自由な時間って、何でもできる。けどそれがたまに不安になる。それを暇って呼ぶんだけどね。

 全能感と無力感が同時にあるのでとても心が不安定になるし、どこまででも行けるのでどこまで行ってしまうのかと果てしなく不安になる。

 

 でも劇場にはそれがない。人を受け入れ、縛って、何も考えず帰してくれる。夢のような空間。そこで観る映画がこれほどまでに意味を持ったのは、大人になって自由な時間が増えてからだと思う。だから最近の映画はどれもこれも心に残ってるし、思い出すたびに特別な気分になるのだろう。

 

 ああいう不自由は歓迎だ。自由な中で選んだ不自由。不安が無くて夢中になれる空間。

 

 そこで相談なんですけど、誰か一緒に不自由に没頭しませんかね?

小休止

 いまいち脳みそのアップデートに身体がついていかない。情報をインプットまではできるけどそれがいまいちアウトプットにつながらないというか、読み込んでも処理ができてない感じがする。

 そんな時はたいてい寝れば解決するんだけど、寝てもうまいこと回復していない。 

 

 人間はHP(体力)とMP(精神力)の複合で生きているので、HPが切れてもそれに気付かず動けてしまったりするんだけど、それを続けてしまった感じがする。脳みそが疲れを感じなかった分は、身体が割を食う。身体を少し回復させたせいで、脳みそも疲れを思い出してしまった。

 でもそれが休憩の目的な気もする。疲れのレベルが合えば、お互いを無視した処理はできない。人生があまりにも短いので、動き続けるに越したことはないけど、それはもう無理。なら疲れとしっかり向き合って、死ぬまでは自分のペースで生きていこう。

 寝て起きたら、もっと疲れたってことは多分なくて、やっと疲れを認識できるぐらいに回復したってことだと思う。目の前の仕事をこなして、寝て、起きて、それでやっと普通に戻れる。

 

 なんか書くのも疲れた。もっかい寝よう。

恐と驚

 ホラーが好きだ。こんなことを書くと知り合いは「嘘つけ」と言うだろうが、本当に好きなのだ。ユーチューブを開けば関連オススメ動画にホラーの予告が出てくる。ドント・ブリーズのようなイカレヤバイ人間の方が怖い。知らない土地のエレベーターがやばいぐらいはなんとか耐えられる。

 だが俺は極めて怖がりだ。高校1年か2年の時に、父親と二人でUSJに行った。フライングダイナソーハリーポッター、どれもこれもティーンエージャーと50半ばの大男二人を叫ばせるほどではなかった。だがその日2度目のバックドラフトにほどよく興奮して施設を出ると、日が暮れ始めていた。空気が変わっていた。その頃、USJはホラーナイトの時期だった。

 俺はビビりだ。でもどうしても気になった。チャッキーのホラー工場に並んだ。めちゃめちゃに人が多かった。建物の中に入ってもなお、都会のエスカレーターのように密着しながらジリジリと進んだ。

 10メートルほど先、前の客が突然飛び出してきたチャッキーに驚くさまがしっかりと確認できる。2、30秒ほどでそこに辿り着く。チャッキーが飛び出し、俺は驚いて父の背中に隠れた。正確に言うと父を盾にした。あんなに予習のチャンスがあったのに、まんまと驚いた。はぁ。

 最後にデカイ部屋に入れられ、チャッキーのすごくヤバイ現場を見せられ(ネタバレ防止)、逃げるように施設を出た。出口のところでへたり込み、「だから無理だって言ったじゃん」などと彼女みたいなことを口走った。中では大人二人の電車ごっこ、外に出れば痴話喧嘩。ホラーって怖いなと、意味不明なことを悟った。

 

 ホラー映画を借りた。死霊館。冒頭10分ほどですでに不穏な雰囲気が漂っていた。でも不思議と落ち着いて見ていた。

 ネットの洒落にならない怖い話を検索する。もちろん怖いんだけど、歯がガチガチに震えるような恐怖はなくて、心の温度が少し下がるような感覚。深夜に1階に降りられないかもしれないけど、トイレぐらいは行ける、そのぐらいの恐怖。

 

 この日、俺はホラー好きだとわかった。心に染み入るというか、心をそれ(恐怖)で染められる感覚が、そこまで嫌いじゃなかった。でも相変わらずチャッキーは怖いし、ネットの恐怖動画は直視できない。

 違いを少し考えたけど、恐ろしさと驚きの違いという結論になった。血が飛び散っている廃病院を懐中電灯で照らす、までならいいけど、そこで突然ナースが扉を叩いてはダメだ。それは恐ろしいではなくてビックリだ。出てくるなら一部分ずつ照らしていかなくてはならない。

 

 風呂が好きな人は多いだろう。だからって、ちょうどいい温度のお湯を突然後ろからぶっかけられていい気分の人はそう多くない。やっぱり手足の先から、少しずつ浸かりたい。

 なんでもそうだ。少しずつ少しずつ、いつの間にか心まで染まっていくほうがいい。

 

 人間として、そんな風にありたいなあとも思う。だってビビリだから。

夢が死んだわけじゃない

 酒を飲んで、ベッドに腰かけて、スマブラの休憩に少し考える。「子供の頃の夢は何だったっけ?」

 記憶力はとてもいい。物心ではないんだけど、2010年頃からこの瞬間までにあった様々な出来事をなぜだか膨大な量覚えていて、きっと誰も覚えていない面白くもなんともない自分の言動を思い返したりする。

 でも子供の頃の夢は、よくわからない。自分が一ケタの年齢だったころ、夢ってちゃんと持ってたんだろうか。タイムマシンが開発されたら、聞きにいってみたい。あのころはなんだか、一日を無感動にこなしてた気がする。

 

 でもちょうど日本が南アフリカでベスト16に行って、駒野が叩かれたころからの記憶はかなりある。もちろんその頃の夢も覚えてる。小学校5年生から中学1年生までは、サッカー選手になりたかった。自分はプジョルのあとを継いで、バルサの5番を背負うんだと息巻いていた。

 サッカー部の上級生が苦手で、嫌いで、簡単にやめてしまった。同級生はいいやつだったと今では思うけど、上級生は今でも苦手だ。サッカーが好きかどうかもわからなくなった。中2の6月からはバスケ部に入って、問題なく充実した最高のバスケ部生活を過ごして、引退した。それは自分を作る必要な時間であったし、「最高の思い出」カテゴリに保存してある。バスケ部は見事に、人生の一部となった。

 

 でもバスケ選手という夢は持たなかった。バスケ雑誌も読まなかったし、知ってるバスケ選手もコービーとか、ジョーダンとか、そんな伝説クラスだけだ。

 ところが、あんなに嫌気がさして辞めたサッカーは、今でも大好きだ。Jリーグの贔屓のチームを応援し、サッカー雑誌を熟読し、日本代表に苦言を呈す。まだ代表にも入ってない海外の自分より年下の選手をワクワクしながら追いかける。休日に、突然外に出てボールを蹴り出す。俺は紛れもなくサッカーが好きだった。

 

 サッカー選手という夢を持った自分を、バカだなと思う。俺はあまり上手じゃなかった。いまだに左足ではまともに蹴れないのに。

 でも、サッカー選手という夢があったから、サッカーをいつの間にか好きになれたんじゃないか?と思った。贔屓のチームのゴールに、勝利に思わずガッツポーズなんて、夢もないのに出来ただろうか。サッカー雑誌をあさったり、外国人の名前どころかプレースタイルまで覚えるなんて、好きじゃないのに出来るだろうか。

 

 サッカー選手になりたいという夢は、もう持っていない。あるのは「なれなかったどころかスタートラインにもたどり着けなかった」という現実だけ。

 でも、全部が無駄だったとは言えない。好きなものが出来た。

 高校の授業で、夢を聞かれた。マイクを持たされ、言葉が自然と出てきた。

「サッカー雑誌の編集者になって、バロンドールを取った選手にインタビューしたい」

 

 それは紛れもなく夢だった。自分でも、言葉にした瞬間にやっとそれが夢だと気づいた。

 だから、あの夢は死んだわけじゃない、と思った。それは形を変えて、人生の一部になって、新たな夢になって、いつまででもここにいるんだと思った。

 だから、あのころの無謀な自分を褒めてやりたい。お前はだいぶバカだが、その後の俺の支えとなったわけだ。

 

 今はちょっと夢と違うところにいる。また違うところに行くかもしれない。でも、夢はまた勝手についてきてくれるんじゃないかと思う。